人の好き嫌いは誰にでもあることです。また“いい人”や“悪い奴ら”など思うこともあるでしょう。その“悪い奴“というのは、人間的に未熟な人間だということです。
その人たちが表現しているエネルギーは『成長と改善のため』にも使用できるのです。
自分から、“悪人になってやろう”とか“利己主義になってやろう”と思ってなる人は滅多にいるものではありません。悪い人間というのは霊的成長における幼児、聞き分けのない子供みないなものです。目に見え手に触れるものだけが全てだと考え、物的世界が提供するもの全て所有することによってしか自分の存在を主張できない哀れな人間なのです。
『利己主義とは利他主義が方向を間違えたにすぎません。』ここが大切です。
“悪”とは何かということを見極めておく必要があります。
私たち地上生活の究極の目的は、“死”と呼ばれている現象の後に待ち構えている次の生活(霊界)に備えて、内部の神性を開花することにあります。
霊性が開発され進歩するにつれ、自動的に他人に対して寛大になり哀れみを覚えるようになります。人間は往々にして自分のしていることの意味がわからずに、全く無知から行為にでていることがあるものです。真の意味の寛大さには洞察力が伴います。
いつでも援助の手を差し伸べる用意ができるように、自ら霊性を高めていきましょう。